大型二輪免許の歴史
今でこそ教習所で簡単に取得できる大型二輪免許ですが、昔は落とすための試験と言っても過言ではないくらい難しい免許でした。
そのため、大型になかなか受からない中型免許のライダーは、羨望の目で大型ライダーを見つめることも多かったのです。
今回は、そんな大型免許がいかにして取りやすくなったのか、その歴史について解説していきます。
1975年〜大型免許は最難関資格に
1960年代、マフラーを外したバイクで町中を爆音で駆け巡る「カミナリ族」が出現しました。
その後、排気量が700ccを超える、いわゆるナナハンに乗り、集団で駆け回る「暴走族」が社会問題となりました。
これらを問題視した国は、1975年にバイクの免許制度を改正し、小型、中型、大型に分類し始めたのです。
ここからが大型バイクにとって暗黒期の始まりでした。
なんと、小型、中型免許は教習所で取れますが、大型免許は一発試験の合格のみとしたのです。
加えて大型免許の一発試験はとても難易度が高く、ちょっとしたミス一つですぐに不合格となってしまう厳しさでした。
巷では、司法試験よりも難しいと揶揄されていたほどです。
別の見方をすれば、国がこれ以上暴走族を増やさないために、わざと難しくしていたとも言えます。
つまり、合格させるための試験というよりは、落とすための試験だったということです。
アメリカの声かけひとつで簡単に
国による大型バイクいじめにより、400ccを超えるバイクを乗る人は尊敬の眼差しでみられる状況が続きました。
ですがその甲斐あってか、400ccや250ccのバイクの流通は盛んになり、その結果としてカワサキZ400FXや、ホンダCBX400Fなどの名車が誕生します。
このような話を聞くと、一概にも大型バイク弾圧が悪いこととは言いにくいですよね。
しかし、1996年になると事態は一変します。
というのも、アメリカが大型バイク免許を取りやすくしろと日本に命令したことで、米国のワンちゃんである日本は、あっという間に教習所で大型バイクが取れるようにしてしまいました。
アメリカが大型バイク免許を日本人に取らせたかったのは、ハーレー・ダビッドソンが赤字を出し続けていたため、日本で大型バイク人口が増えれば、売り上げが上がると考えたからです。
その予想は的中し、ハーレー・ダビッドソンをはじめとする大型バイクの売上は大幅に増えました。
この出来事は、長年大型バイクに対する厳しさを持っていた日本が、アメリカの一声で態度をコロッと変えてしまった珍事であると言えます。
アメリカに怯えてたからこそのメリット
先ほど言ったように、アメリカの一声が無ければ、大型バイクの免許は今でも厳しいものだったかもしれません。
今の大型バイクライダーは、アメリカのおかげでビッグバイクに乗れていると言っても良いでしょう。
ですが、ビッグバイクに乗るのが難しかったからこそ中型の名車が生まれたとも言えます。
きっと日本のメーカーなら、どんな状況下でも名車を作り出してくれていたに違いありません。